生誕70周年

 

 32歳でその生涯を終えた

世界的に知られるアクションスター

それが「ブルース・リー」

1973年12月、日本では彼の死後

に発表された、ハリウッド映画「 燃えよドラゴン 」で世界的な評価を受け、全世界に衝撃を与え、現在でも多くの熱狂的ファンを抱える人物でもあるです。

1940年の11月27日に父親で広東演劇の役者の李海泉と、母親グレイスが家族を連れて長期アメリカ巡業中、サンフランシスコのチャイナタウンの病院で5人兄弟の次男として生まれた。

青年期には、俳優の息子で自らも映画に出演し、当時でも珍しい中国服を着ていた事から街で目立ちまくっていた上に、当時気性が荒かったリーは「 何をジロジロ見ているんだ 」と難癖をつけて、毎日のように暴力沙汰を起こしていたそうだ。

そんなリーの将来を心配した父は、「 俳優の不良息子 」として悪名を知られた香港から離し、渡米を命じ、シアトルに移り住む事となる。

新聞配達のアルバイトをして職業訓練学校のシアトル・セントラル・カレッジに通い高校卒業資格を得て、ワシントン大学哲学科に進学。

勉学に励むかたわら、「 振藩國術館 」を開いて中国武術の指導を始めながら、高校で哲学の講師もしていた。

その頃、同じ大学の医学生で、道場の生徒だったリンダ・エメリーと結婚。

その後、大学を中退し、道場経営に専念。

截拳道( Jeet Kune Do / ジークンドー / 通称・JKD )を創始する。

 

1966年に、アメリカの「 ロングビーチ国際空手選手権大会 」でJKDの演武をしたフィルムが、TVプロデューサーの目に止まり、TVシリーズ「グリーン・ホーネット」のカトー役に抜擢され、これをきっかけに、ロサンゼルスでハリウッドの俳優やプロデューサーを顧客に武術の個人指導をするようになり、TVや映画などのゲスト出演を重ねる様になり、「 燃えよドラゴン 」・「 ドラゴン怒りの鉄拳 」・「 ドラゴンへの道 」・「 死亡遊戯 」などの映画に主演として出演する様になる。

 

1973年07月20日に、リーは、『 死亡遊戯 』で共演予定の女優、ベティ・ティンペイの香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んでベッドに横になっが、そのまま昏睡状態に陥ったため、ティンペイはレイモンド・チョウを呼び、そのままクィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認された。

 

 映画公開時すでに伝説だった男、「 ブルース・リー 」

あの衝撃から37年、「 そんなに長い年月が過ぎ去ってしまったのか? 」っと思うのだが、それでも私たちの記憶の中で全くと言う程、色あせない永遠のヒーローで、スーパーアクションスター、格闘技を志す者にとっては神のような存在でもあった。

その当時の男性のほとんどが、ブルース・リーに熱中し、空手や少林寺拳法を学ぶ者が続出し世界的な空手ブームとなったのだ。

そして彼の確立した人生哲学から多くを学ぶ事ができる。

「 燃えよドラゴン 」の最初のシーンであまりにも有名な名言 " Don't Think Feel !! " 「 考えるな、感じろ 」は映画の台詞ではなく彼自身のアドリブである。

直感を重んじ行動の人でもありました。

  " 知識を得る事は素晴らしい! だが実践しなければ無意味だ、行動し実行する事こそ需要なのだ " と説いている。

又、人生において水のように柔軟である事の大切さを教えている。

誰しもがただのアクションスターではなかった事を知り始めると、ブルース・リーの人生哲学や人間的な魅力にすっかり魅せられてしまうだろう。

 

 

2010年 11月30日

 

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