「世界のオザワ」死去
日本を代表し、世界の楽壇 の 第一線に立ち続け、戦後日本 の クラシック音楽界を牽引 した 指揮者 の 小澤 征爾(おざわ せいじ)さんが 06日、東京都内の自宅で 心不全 のため 死去 した。88歳だった。
1935年、旧満州奉天(現中国・瀋陽)生まれ。幼少からピアノを始め、桐朋学園短大指揮科で指揮者の斎藤秀雄に学んだ。卒業後に渡仏し、スクーターで各地を回り、59年に仏ブザンソン国際指揮者コンクールで日本人初の優勝を果たした。
カラヤン、ミュンシュ、バーンスタインら世界的な指揮者に才能を認められて指導を受けた。
バーンスタインの招きで米ニューヨーク・フィルの副指揮者となり、米シカゴ響、カナダ・トロント響など著名なオーケストラに次々と招かれるようになった。
武満徹が和楽器とオーケストラの融合に挑んだ「ノヴェンバー・ステップス」の 67年のニューヨーク初演は世界的な話題となった。
カナダのトロント交響楽団を経て 70年、米タングルウッド音楽祭の芸術監督とサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に。
1973年には 38歳で名門ボストン交響楽団の音楽監督を 29年間務め、その活動を通じて「世界のオザワ」と呼ばれる存在となった。
2002年 〜 2003年のシーズンから 2009年 〜 2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ 松本フェスティバル総監督、小澤征爾音楽塾塾長・音楽監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者、音楽祭「東京のオペラの森」の音楽監督など、晩年まで精力的な活動を国内外で続けた。08年に文化勲章、16年に米グラミー賞を受賞。
2022年11月23日、キッセイ文化ホール (長野県松本文化会館) においてサイトウ・キネン・オーケストラ (SKO) を 4年ぶりに指揮。
演奏ではそのとき、国際宇宙ステーション (ISS) 「きぼう」でミッションにあたる宇宙飛行士の若田 光一に向けて、ベートーヴェンの「エグモント序曲」のライブ配信が行われた。宇宙へのオーケストラ演奏のライブ配信は史上初であった。
直後の11月25日・26日に行われたセイジ・オザワ 松本フェスティバル (旧称 : サイトウ・キネン・フェスティバル松本) 30周年記念特別公演の指揮はアンドリス・ネルソンスが行った (25日公演のカーテンコールの際、車椅子に乗った小澤さんが登壇し観客を沸かせた。)
2024年2月6日、ボストン交響楽団は小澤を追悼し
With great sorrow, the Boston Symphony
Orchestra announces the death of its beloved
Music Director Laureate, Seiji Ozawa.
訳 :「ボストン交響楽団は、深い悲しみとともに、
敬愛する桂冠音楽督、小澤征爾氏の逝去を発表します。」
と始まる長文で哀悼の意を公式サイトのトップおよび特集ページに掲載。一部抜粋「親切で思慮深い人道主義者、指揮台でのバレエのような優雅さと天才的な記憶力を兼ね備えた音楽の天才」「セイジは世界中のファンにとって、これらすべて、そしてそれ以上の存在だった。彼の遺産は、私たちの集団的、個人的な多くの思い出と、彼の忘れがたい録音を通して生き続けています。マエストロ・オザワのご家族、ご友人、そしてクラシック音楽界に深い哀悼の意を表します」と称え、偲んだ。ほかにもベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、シカゴ交響楽団や国内のオーケストラなど、世界中のオーケストラから追悼の声明が寄せられ、世界中の音楽家がメッセージを出した。
訃報は国内外の多くのメディアで報じられ、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト、ガーディアンなどは長い追悼記事を出し、「東アジアのクラシック音楽家に対する偏見を払拭することに貢献した (ニューヨーク・タイムズ) 」などと、その功績を讃えた。
2024年 02月 29日
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