登山家 - 栗城史多さんがエベレストで死亡。

 

登山家の栗城 史多(くりき のぶかず)さんが 2018年05月 21日、エベレスト下山中に遺体で発見され

たと、栗城さんの公式ブログで発表された。

 

栗城さんは 8度目となったエベレスト挑戦に向け、04月の日本を出発。

だが、05月 21日 10時頃、「 栗城は体調が悪く、7,400m 地点から下山することになりました。今後の行動は未定で、栗城が無事に下山して状況がわかり次第、お知らせいたします 」との報告がなされていた。

 

その後、21日午後、公式ブログが更新されたが・・・

栗城さんについて「 このようなお知らせになり大変申し訳ございませんが、エベレストで下山途中の栗城が遺体となり発見されました 」と死亡を伝えた。

死の状況については「 下山を始めた栗城が無線連絡に全く反応しなくなり、暗い中で下から見て栗城のヘッドランプも見当たらないことから、キャンプ 2 近くの撮影隊が栗城のルートを登って捜索し、先ほど低体温で息絶えた栗城を発見いたしました。生きて帰ることを誓っておりましたのに、このような結果になり大変申し訳ございません。生きて帰るため執着しないと誓っておりましたのに、最後に執着してしまったのかもしれません。 」と栗城さんの心情を推し量る言葉があった。

そして「 これまで栗城を応援していただき、本当にありがとうございました。 」と感謝の思いが伝えられた。

 

訃報を伝えたフェイスブック投稿には、1時間あまりで 1,000件超のコメントが集まり、お悔やみの言葉がおくられている。

アスリートの為末大さん、作家の乙武洋匡さん、ジャーナリストの堀潤さんら、著名人もツイッターで、その死を悼んだ。

 

 

栗城さんの登山は、色々と物議をかもし出す事が多かったようで、・・・

大学時代に山岳部で登山をはじめ、世界 7大陸最高峰の無酸素単独登頂をめざし2004年にマッキンリー( 6,194m )の登頂に成功すると、毎年高山に登り、8,000m峰にも2008年のマナスル( 8,163m )などに登頂。

そして 2009年から、8,848mのエベレストへの挑戦が始まった。

このころから、彼を取り上げたテレビ番組が数多く放送され、著書はベストセラーになり、現役の登山家としては圧倒的な知名度を獲得していった。

「 冒険の共有 」をテーマに全国で講演活動を行いながら、年に1、2回ヒマラヤ地域で高所登山を行っていた。

エベレストには「 単独・無酸素登頂 」と「 頂上からのインターネット生中継 」を目指し、積極的にブログ・SNS発信を続けていて、投稿のたびに多くの応援の声が集まった。

 

一方で、その登山の内容や発言には疑わしいものが目立つとして、激しいバッシングも受けていた。

これほど評価の幅が大きい登山家は、栗城さん以外には見受けらけない。

大ざっぱにいえば、一般の登山を知らない素人からはおおむね「  7大陸最高峰を制覇しようなんて凄い!!  」っと好意的評価を受け、登山を知る人からは逆に「 単独・無酸素登頂。なんて無謀な事を・・・ 」っと否定的に見られていたようだ。

自身のウェブサイトやブログでは「 単独・無酸素登山 」を標榜してきたが、「 単独 」についての登山界の見解は「 ベースキャンプの先は第三者のサポートを受けずに登り切ること 」という意味に対し、栗城さんの場合は「 自分の荷物を自分で背負うこと 」と解釈がなされている。

( 事実、冒頭のブログより先んじて訃報を出した 21日の現地紙「 ヒマラヤ・タイムス 」では、「 シェルパ(編注:ヒマラヤ登山の案内人)4人と登頂を目指していた 」と帯同者の存在を伝えていた。)

「 無酸素 」の定義をめぐっても、疑問の声があったことは事実だ。

 

そしてスケジュールをめぐっては、「 性急過ぎ 」ではないかと議論が多かった。

何故かというと、エベレストは、現地入りしてから 2か月程かけて体を順応させながら、登頂を目指すのが一般的だが、栗城さんのブログをたどると、今回の挑戦は 04月 18日に日本出立を伝え、05月 21日に登頂予定であると発信。

17年の 7度目の挑戦でも、04月 10日に現地入り、05月 23日に登頂予定としていた。

いずれも 1ヶ月程度しかない。

 

登山ルートについても、栗城さんは昨年、北壁というルートからエベレストに登頂しようとしていた。

エベレストは現在、多くの人が登る大衆登山の場となったが、それはノーマルルートと呼ばれる、もっとも簡単な登路から登り、さらに、熟練のプロガイドがついてこその話。 ( 簡単って言ったって、8,000m級だから簡単の意味が違いすぎるけど・・・ )

近年、最高齢登頂で話題になった冒険家の三浦 雄一郎さんや、日本人最年少登頂者となった南谷 真鈴さんも、この手法で登頂している。

 

一方で栗城さんは、はるかに難しい北壁を登路に選び、ノーマルルートから登るほとんどの登山者が利用する酸素ボンベも使わず、しかもたったひとりで登るという。

登山ライターの森山 憲一氏は 17年 06月 09日のブログで、危険な挑戦によって「 栗城さん自身が追い込まれていく 」、「 応援する人たちは『 次回がんばれ 』と言いますが、このまま栗城さんが北壁や西稜にトライを続けて、ルート核心部の8,000m以上に本当に突っ込んでしまったら、99.999%死にます。それでも応援できますか 」と警鐘を鳴らしていた。

同じエベレストでも、登頂の難易度において「 雲泥 」という差があるとの事。

プロガイドと酸素ボンベ付きのノーマルルートが、普通の大学生でも達成可能な課題である一方、北壁の無酸素単独登頂は、世界中の登山家が腕を競ってきた長いエベレスト登山の歴史のなかで、まだだれも成し遂げていないのだ。

 

 

  • 2009年 09月チベット側、2010年 09月ネパール側から挑んだが、8,000mに達することが出来ず敗退。
  • 2011年 08月 - 10月に前年と同じネパール側から 3度目の挑戦をしたが、サウスコル 7,900mに達せず敗退。
  • 2012年 10月に西稜ルートから 4度目の挑戦も強風により敗退。( この時に凍傷になり、のちに右手親指以外の指  9本を第二関節まで切断。 )
  • 2015年 5度目、2016年 6度目、2017年 7度目のエベレスト登山も敗退した。
  • 2018年 5月に 8度目となるエベレスト登山を敢行したが、途中で体調を崩して登頂を断念。下山中の 21日にキャンプ 3から下山中に滑落し、低体温に陥り死亡したと見られている。

 

 

毀誉褒貶 (は<きよほうへん) を受けながらも、エベレストを目指し、敗退し、指を失い、又エベレストを目指す。

8度にわたる挑戦は、命までおも犠牲に・・・悲劇的な結末を迎えてしまった。

 

なぜ、そこまでしてエベレストの山頂に立ちたかったのか?

昔、登山をやっていた友人が、「 登山を極めようとすると、自分の限界を感じて辞めるか・死ぬまで登るかのどっちかなんだよねぇ 」って言っていた事を思い出した。

その友人も、雪山登山で雪崩に会い仲間を目の前で亡くしたり、滑落していく仲間を助けられなかったりと、数々の経験 ( 死目 ) が何度もあるらしく、私からして見れば「 死 」に対しての感覚 ( 考え方 ) がチョット麻痺している??? っと思った事があった。

栗城さんも、「 生きて帰るため執着しない 」と言いつつ、心のどこかで、あわよくば登頂出来るのでは?・・・って思ってしまったのか?

 

本当に残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

2018年 05月 28日

 

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