Shark attack

 

毎年 一定数発生 してしまう ハワイ での シャークアタック

特にこの島が危ないと言うわけではなく ハワイのどの島 でもあり得る事と言えるでしょう。

ホノルル救急医療当局 によると、現地時間の 23日午後 01時ごろ、オアフ島、ノースショア の レジェンドサーファー、タマヨ・ペリー氏 (49) がオアフ島沖の小さな島、ゴートアイランドでサーフィン中シャークアタック遭遇

通報により救急隊が出動し、ジェットスキーでビーチまで運ばれ 搬送された先の病院死亡確認 された。
遺体は腕と足がない状態で発見されたと報告されている。

2003年に当時 13歳だったべサニー・ハミルトンがカウアイ島でシャークアタックに遭い、片腕を失ったのは映画にまでなった有名な話だが、シャークアタックでプロサーファーが亡くなるのは初めてのこと。

 

ペリー氏は、1975年にオアフ島・イーストサイドで生まれ。ノースショアで 12歳でサーフィンを始め、パイプラインでスペシャリストと呼ばれるまでになった。

ハードチャージャーのグーフィーフッターのペリー氏はパイプラインでのディープなチューブライディングで知られているが、ジェリー・ロペスとトム・キャロルに憧れて彼らのスタイルを手本とした。そして1999年のパイプラインマスターズのトライアルで優勝し本戦に出場できるチャンスを得ている。またタヒチのチョプーで行われたビラボンプロのトライアルでは 5位に入賞した。しかしペリー氏の真価が発揮されたのはコンテストよりもフリーサーフィンだ。

パイプラインでの彼のパフォーマンスは、写真家たちの注目だった。

彼が全盛期だった2004年には、シーズンを通じてパイプラインで最も活躍したサーファーと評価された。

そして多くのサーフビデオや、ハリウッド映画の「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」「ブルークラッシュ」や、テレビドラマ「LOST」「HAWAII  FIVE - 0」に出演し俳優としても活躍していた。

 

ペリー氏が所属したホノルル・オーシャン・セーフティーによると、地元では妻とサーフィン教室を開いていたほか、ライフガードとしても知られていたという。

ハワイ・ホノルル市長は「タマヨは伝説の海の男で、とても尊敬されていた」と死を惜しんだ。

AP通信によると、記者会見でホノルル海洋安全局長のカート・ラガー代理はペリー氏を “ 皆に愛されたライフガード “と呼んだ。

「彼はノースショアでよく知られている世界的に有名なプロサーファーだ。タマヨの人柄は人々に伝わっており、人々が彼を愛したのと同様に、彼は他のみんなをもっと愛していた」と語った。

妻のエミリアさんは Instagram を更新し、「困っている人がいれば手を差し伸べる人だった」と追悼文を掲載。

「悲劇だけれど、最後まで大好きな海で大好きなサーフィンをしてこの世を去った」とコメントしています。

 

彼のご冥福を心よりお祈り致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年 06月 28日

 

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