《 関東大震災 ( 大正関東地震 )  》

「関東大震災調査報告 気象編」(藤原咲平,1924) によれば、09月 01日 06時には、金沢の西海上に台風があり、 10時になると秩父付近に副低気圧が発生した影響で、東京では午前中時々少雨があり、副低気圧は 14時には不明瞭となり、台風は 18時には三陸海岸へ進んだため、東京では午後は天気が回復し全く雨が降りませんでした。

台風の後面には不連続線(前線)を伴っていたとみられ、夕方から夜にかけて関東地方を通過するまでは東京は南風でしたが、通過後は西~北風と風向が急変しました。不連続線の通過後、東京では火災旋風が発生し、元衛町 (中央気象台、現:千代田区) の気温は火災により正式な観測値が得られませんでしたが、測器の記録は大幅に上昇して 02日はじめには 45℃以上にまで達していたと言います。

 

  火災旋風とは・・・

 

火災時に火災域やその周辺で発生する竜巻状の渦のこと。火柱状の渦もあれば、炎を含まない渦柱もある。火災旋風の猛烈な風は、人や物を吹き飛ばして死傷者を出す。火の粉を広範囲に飛ばし、急速な延焼拡大をもたらす。

(「地震火災から命を守る」(総務省)より)

 

 

 

大正関東地震では関東南部の山地や丘陵地、台地の縁辺部で地震による強い揺れによって地すべり、土石流などによる土砂災害が多数発生しました。土砂災害が多発した理由として、大正関東地震によって非常に大きな震動受けたことが主因ですが、前日にかなりの降雨があったことも大きな理由となっています。(内閣府,災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成 18年 07月1923 関東大震災より)

神奈川県小田原市内の根府川駅(ねぶかわえき)では、列車が駅に入る際に土石流が発生し、列車が海へ転落してしまうなど大きな被害(根府川駅列車転落事故)が発生しました。

また、現在神奈川県秦野市と中井町にまたがる震生湖(しんせいこ)のように、土石流が河道を閉塞することで、堰止湖(せきとめこ)ができるなど、その地域の地形を大きく変化させてしまうほどの規模であったことを推し量ることができます。

 

大正関東地震は、震源域が相模湾内にあったため、三浦半島から伊豆半島東岸に高さ数m以上の津波をもたらしました。早いところでは地震後 5分程度で津波が襲来し、津波の高さは静岡県の熱海で 12m、房総半島の相浜で 9.3mとなりました。

( 内閣府,災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成 18年 07月1923 関東大震災より )

 

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デジタルツインでたどる関東大震災直後の航空写真  東京大学大学院 渡邉英徳研究室 × 国立科学博物館